3歩進んで、??
「3歩進んで、あなたはどうなっていたい?」
今日一日、自分に問いかけ続けた。
この1か月、自分の中で芽生えていった停滞感。そしてそこからつながる、倦怠感。
自分の中にある停滞感、倦怠感についに嫌気がさして数日。何もしたくない。考えたくない。ただ生きていればいい。そんな人形のような奴隷のような生活に、嫌悪感を覚えても打開する術もやる気もない。
自分という人間性をただ観察し、他人事のように生きていく数日。他人事ならばまだしも、本当にどうでもよいとすら思っている節があって、どうしたらいいのか迷い続けようで、どうにでもなれと考える気もない数日。
まさに、生きた心地がしない毎日だった。
そんな中、偶然にも出会った言葉。もちろんありふれた、なんてことのない言葉。
「3歩進んで、3歩戻った気分」
この言葉は、自分に浸み込んで、温かく広がっていった。
「あー、同じだ、今の自分と」そして「3歩進めるなら、どうなりたいかな」と妄想してみたくなった。この数日で、初めて息をした。
この問いは、自分の中の何かが洗われていった。たぶん心なのか。それとも心を形作る一つの枠組み、「思考」なのか。
まずは願望から始まる。後悔だけはしたくない。せめて同じか前に。なら3歩よりも戻ることはありえない。
次は絶望。前に進みたいという気持ちがあるなら、じゃあなぜ今の自分がいるのか。人間ではない、生きているようで生きていない存在体に、なぜなっているのか。
そして理解。今の「自分」を理解。存在体から思考体へ。そして願望へ。
このループを永遠と一日繰り返してきた。
色々な答えがあると思う。
「3歩進んで、前に進む」
「3歩進んで、3歩戻る」
「3歩進んで、立ち止まる」
前に進むのはあたりまえかもしれない。だって3歩進んでいるなら。
3歩戻るなんてありえないと思えるかもしれない。でも進む方向が元の方向なら?実は下りのエスカレーターを上っていたら?
立ち止まるのはいいことかもしれない。今の自分がどこにいるのか、わかるから。
自分の答えはまだない。恐らく永遠に出てこない。その時の気持ちの持ち様に左右されてしまうのは否めない。
でも、今からならこう答える。
「3歩進んで、4歩5歩進んでいたい」
なぜ?
生きているなら、立ち止まる時も元に戻る時も後退する時もあるかもしれない。でも、人間が「人間」として存在しているのは、常に前を向き良き未来を信じているからだと、自分の中で信じているから。
明日こそ、3歩進もう。その時は3歩どころか、人にとっての4歩5歩と、少しでも前に進めるようにしよう。人よりも少し大股に進んで、人形でも存在体でもない、ただの「人間」として生きている自分を取り戻そう。
あぁ、明日の3歩で、やっと人間になれるかもしれない。