3歩進んだ先には?
「3歩進んで、あなたはどうなっていたい?」
昨日一日問い続け、答えはまだ出ていない。それでも、一つだけ。
「3歩進んで、4歩5歩進んでいたい」
今日こそは、と踏み出した3歩
どんな3歩かと言われると難しいけれども
1歩目は、家の片付け。心が荒んでいる時は、汚れを無視してしまう。だから前に進みたい今は、きれいにしたいところだらけ。
2歩目は、外出。何もやる気が出ない時は、引きこもって何もせず、一日が終わってしまう。だから未来を掴みたい今は、やりたいことや目標を叶えるために、知りたいことだらけ。
3歩目は、自由で気楽な時間。鬱屈としている時は、ただ鬱屈として思考もだめだめ。だから自分を取り戻したい今は、ストレスフリーな環境だらけ。
たったの3歩で、存在体から思考体へ、人間に生まれ変わった気分。
前を向くことが素晴らしいわけでもない。
後ろを振り返ることが悪いわけでもない。
ただ、自分の信じた/信じる道に沿って、足を前に出しただけ。歩を進めただけ。
それだけなのに、自覚させられた。
世界は、こんなにも自分に向いているって。
世界は、こんなにもきれいなんだって。
自分は、こんなにも人間なんだって。
たったの3歩で、4歩5歩先の世界に来れちゃったのかもしれない。
明日からも、3歩進んでみたい。
どんな明日になるのかな。
3歩進んで、??
「3歩進んで、あなたはどうなっていたい?」
今日一日、自分に問いかけ続けた。
この1か月、自分の中で芽生えていった停滞感。そしてそこからつながる、倦怠感。
自分の中にある停滞感、倦怠感についに嫌気がさして数日。何もしたくない。考えたくない。ただ生きていればいい。そんな人形のような奴隷のような生活に、嫌悪感を覚えても打開する術もやる気もない。
自分という人間性をただ観察し、他人事のように生きていく数日。他人事ならばまだしも、本当にどうでもよいとすら思っている節があって、どうしたらいいのか迷い続けようで、どうにでもなれと考える気もない数日。
まさに、生きた心地がしない毎日だった。
そんな中、偶然にも出会った言葉。もちろんありふれた、なんてことのない言葉。
「3歩進んで、3歩戻った気分」
この言葉は、自分に浸み込んで、温かく広がっていった。
「あー、同じだ、今の自分と」そして「3歩進めるなら、どうなりたいかな」と妄想してみたくなった。この数日で、初めて息をした。
この問いは、自分の中の何かが洗われていった。たぶん心なのか。それとも心を形作る一つの枠組み、「思考」なのか。
まずは願望から始まる。後悔だけはしたくない。せめて同じか前に。なら3歩よりも戻ることはありえない。
次は絶望。前に進みたいという気持ちがあるなら、じゃあなぜ今の自分がいるのか。人間ではない、生きているようで生きていない存在体に、なぜなっているのか。
そして理解。今の「自分」を理解。存在体から思考体へ。そして願望へ。
このループを永遠と一日繰り返してきた。
色々な答えがあると思う。
「3歩進んで、前に進む」
「3歩進んで、3歩戻る」
「3歩進んで、立ち止まる」
前に進むのはあたりまえかもしれない。だって3歩進んでいるなら。
3歩戻るなんてありえないと思えるかもしれない。でも進む方向が元の方向なら?実は下りのエスカレーターを上っていたら?
立ち止まるのはいいことかもしれない。今の自分がどこにいるのか、わかるから。
自分の答えはまだない。恐らく永遠に出てこない。その時の気持ちの持ち様に左右されてしまうのは否めない。
でも、今からならこう答える。
「3歩進んで、4歩5歩進んでいたい」
なぜ?
生きているなら、立ち止まる時も元に戻る時も後退する時もあるかもしれない。でも、人間が「人間」として存在しているのは、常に前を向き良き未来を信じているからだと、自分の中で信じているから。
明日こそ、3歩進もう。その時は3歩どころか、人にとっての4歩5歩と、少しでも前に進めるようにしよう。人よりも少し大股に進んで、人形でも存在体でもない、ただの「人間」として生きている自分を取り戻そう。
あぁ、明日の3歩で、やっと人間になれるかもしれない。
自分の美学ってなんだろ。
究極のひまつぶしに性格診断をするのですが、
たいてい「独自の美学を持った」「良い意味での変人」みたいなことが書いてあって
すごく納得するような、引くような、つまらないような。
性格診断って眉唾かもしれないけれども、迷ったり考えたり立ち止まったり進みすぎたりするときに一つの示唆を与えてくれる。
その中でも一番気になって仕方ないのが、自分のコアとなる人となりの部分。
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